「13年ぶりに仏さまが帰ってきた」──そんなニュースが話題になりました。
対馬から盗まれた仏像が、ようやく韓国から戻ってきたのです。
でも、「なんでそんなに時間がかかったの?」「そもそもどうして韓国にあったの?」と疑問に思う方も多いのでは?
今回は、難しい言葉は使わずに、この“仏像返還”の裏側をやさしく解説します。
気になる方はぜひ最後までご覧くださいね。
そもそも、どんな仏像だったの?
長崎県の離島にある対馬市の観音寺にあった、県指定有形文化財でもあった「観世音菩薩坐像」という仏像でした。
室町時代ごろの作とされる、対馬の観音寺の大切な文化財です。

なぜ盗まれて、どうやって韓国に?
2012年に韓国の窃盗団がカネに換えようとしてこの仏像を盗み出し、自国に持ち込んだもの。これがそもそもの始まりなんですね。

その一団もすでに罰せられています。
密輸され、韓国国内で発見・押収されたのですが、そこから事態が複雑になっていくんですね。
その理由が、韓国の「浮石寺(プソクサ)」が「これは本来うちの寺のもの」と主張したからなんです。
浮石寺の主張はこうです。
「これは本来うちの寺のもの」
「昔、倭寇(わこう)に奪われたものだ」
倭寇(わこう)って、数百年前の話です。(;^ω^)
もしそれが真実なら、なぜ今までに主張してこなかったのでしょう?数百年の間なぜ黙っていたの?
倭寇に奪われたという根拠は?
そんな疑問が出てきます。
ですが、14世紀に「瑞州浮石寺」で地元民の願いを込めて作られたとの記録があるということです。
所有権をめぐる争いが長引いた理由
韓国の裁判にこの問題が持ち込まれ、仏像の“持ち主”がどちらかをめぐって長年の裁判になりました。
浮石寺の「倭寇に奪われた」主張に対し、証拠不十分と判断され、2023年に高裁が返還の命令を出しました。

韓国で14世紀に「地元民が願いを込めて作られた仏像である」という根拠が乏しかったとの判断なのでしょうね。
裁判後もすぐには返らなかったワケ
裁判での判決後も、返還までに時間がかかった理由は主に以下の3つと思われます。
①韓国政府や文化財庁の手続き、日本側との調整にも月単位で時間が必要。
②輸送準備や安全管理も考慮する必要があった。
③裁判の判決後も、判決確定までさらに時間がかかったものと思われる。(上告→確定まで)。
いろんなことが混ざり合ってこれだけ時間がかかったということですね。
返還は何を意味するの?
今回の仏像の返還は「当然」の結果だと思います。韓国国内でも「盗まれた物は返すべき」という声が増えたという背景があったようです。
また、日韓関係も改善傾向にあり、返還が“前向きなメッセージ”として注目されると思われます。

今後の仏像の保管先とまとめ
5月12日の未明にこの仏像は対馬市に戻ってきましたが、防犯上の理由から同日中に対馬博物館に運ばれて、保管されるそうです。
なので観音寺に行っても仏像を参拝することは出来ないみたいですね。
ですが、落ち着いたら博物館で公開できる日が来るかもしれません。
一体の仏像が戻るまでに13年もかかってしまったのは、歴史、法律、そして国と国との関係が絡み合っていたからなんですね。
そもそも「盗んだもの」を「取り戻した」のだから返さないという主張にも閉口しましたけど、しかしながら最終的に「大切なものを元の場所に返す」という当たり前のことが実現できたのは、前向きな一歩ではないでしょうか?
これをきっかけに、日韓の文化交流がもっと穏やかで豊かなものになるといいですね。
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